氣功     2005.10.15







氣功とは

誰かに見せるものでもないし

掌に “氣”を感じるものでもない







氣功とは

自分自身の“核”に出会い

自分自身と対話し続けるものだ


















自分という芽に水をやり

日を当て

日々気をつけて育ててゆく



























氣功は

自分自身という宇宙空間への旅であり

発見の連続でもある













武術氣功も

医療氣功も

氣功体操も


“氣功”という面においては同じく

















氣功は常に探求であり



問いかけであり



答えであり



謎である











答えは無数にあり

無数に無い




捉えたかと思うと それは形を変え

形を変えたかと思うと

また手招きする















真理はひとつでありながら

無数の顔を持っている



















これだ と思うと

それではない




















ひとりぼんやりと水面をながめていると

流れ着くものがある




捉えようとすれば逃げ

ながめていると寄ってくる



















血眼になって捜す者には

その片鱗さえ見せず











のほほんと空を見ている者に

宇宙の地図が一瞬見え隠れする





















力の入った者には

見えないものがたくさんある








努力しても 努力しても

届かない、

いやむしろ 遠のく




















求めても 求めても

それは外から来ない













探求の旅は

自己へ

宇宙の中心へと向かっている

































掌に受ける、雪のひとひらにも

“氣功”は姿を現す











“氣功”は“氣”ではない





“氣”は“氣功”ではない






























その昔

ある男が 桃の流れてきた川をさかのぼると

桃源郷にたどりついた





桃源郷はいつもすぐ手の届くところにある









宇宙は時間を超越する






















“氣功”とは 肉体の自分を越え

自分自身が広がってゆく





全宇宙が自分自身になる

















“氣功”が 自分を変え

人生を変え

自分自身が“氣功”そのものになる





















“氣功”とは 生き方そのものであり



意識であり



世界であり







すべてを総称して

すべてを呑み込んでゆく




















“氣功”とは

常に大海を泳ぐことであり





はるか先を見通し



手元を照らし



地球を呼吸することを 言う