人生の宝石

 

 

幼いころは、時間の流れが、今とは随分違っていた

 

遊んでいるときは、

遊びに集中している

 

「ごはんですよ」

と言われると、

 

おもちゃを放り出して

頭の中は「ごはん」でいっぱいになる

 

ごはんを食べている間は、

おかずや、お箸や、それに集中している

 

ごはんが終わって 

「お風呂ですよ」と言われると

 

頭の中は「お風呂」になる

 

お風呂でバチャバチャと遊び、

お風呂に入ることに集中する

 

「パジャマに着替えて」

と言われると、

なれない指でボタンを一生懸命かける

 

絵本を読んでもらっている間中は、

絵本の世界にどっぷりと浸って

 

いつの間にか眠ってしまう・・・

 

 

 

ところが、大人になると、

「今」に 集中することが 無くなってしまう

 

旅行に行こうと

パンフレットを見ながら

切符の手配を考えている

 

 

切符を買いに行くと、

新幹線の中で飲むビールのことを

考えている

 

 

新幹線の中でビールを飲みながら

到着して観光しているときのことを

考えている

 

 

目的地で観光していると、

お土産のことを考えている

 

 

お土産を買いながら、

宿で食べる夕食のことを考え

 

 

夕食を取りながら、

露天風呂のことを考え、

 

明日の行程を考えている

 

 

普段の生活の中では、

朝起きると朝食のことを考え

 

 

朝食を取りながら、

今日の段取りを考え

 

 

何かをしながら、

常に次の何かのことを

 

思い浮かべている

 

 

 

私たちが、普段、当たり前にやっていることが、

こうして羅列すると、

 

なんて

「いま」を生きていないのだろう!

と驚かされる

 

まるで借り物の人生のように、

決められたスケジュールをこなそうとしている

 

・・・何のために!?

 

 

習い事をしたことがある人なら、

自分の家ではなかなか出来ないのに、

教室のある日になると、

その間中、スムーズにできるという経験があるはずだ

 

 

それは家で練習しようとしても、

これが終わったら○○をしよう、

などと雑念が次々と吹き出し

腰をすえてじっくりと出来ないのも大きなひとつの原因だ

 

 

座禅や瞑想や氣功で靜功をやったことのある人なら

終わりの時が来て、

ふっと我にかえったという経験があるだろう

 

今、自分がしていることに集中し

 

自分と世界が渾然一体となって

天と地の境目が分からなくなり

 

自分が宇宙にとけこんでしまったような

 

世界が自分の中に入り込んでしまったような

 

時間と空間を越えた世界に漂って

 

終わりの合図で

ふっと夢から覚めたような思いをすることはよくある

 

そしてそれを繰り返すことによって

 

遠く離れてしまっていた自分の人生が、

自分のもとへと戻ってくる

 

あらためて

「今を生きる」ということの価値を知ってゆくのだ

 

 

 

 

 

ティクナットハンが、弟子に言った言葉

 

「皿を洗うときは、皿を洗いなさい」 

ティクナットハン≪禅僧≫

ほかのことを考えるのをやめて、こころをこめて皿を洗いなさい 

 

 

日々の生活の中にも『修行』がある

そしてそれは

滝に打たれたり、

荒野で修行するのと

なんら変わらない価値と重みがある

 

日々の生活の中に、

宝石のように

「今」を大切にすること

 

 

 

それは

人生を、輝く宝石に変える魔術のことだ

 

2003.10.29