忘れられない一枚の写真

 

 

その写真には

 

まだ 幼い女の子が 被災して汚れた 裸のまま

破壊された街で 泣き叫んでいる

破壊されつくした 街のがれきの真ん中を たった ひとりきりで。

 

腹の底から つきあげてくる 慟哭(どうこく)

 

いったい なにに向けたらよいのか

 

・・・怒りか、・・・哀しみか、・・・喪失感か、

なにかわからない 激しい感情を

からだ全体から 噴き出して がれきの中を 歩いている

 

 

 

 

 

 

戦争だったか 災害だったか いまはもう覚えていない

その写真は 新聞の一面の 下のほうに 小さく 載っていた

 

 

父も、母も、どこに行ったのだろう?

保護すべき大人は どこに消えたのだろう?

 

がれきの山が すべてを物語っている

 

 

 

受賞して有名になった「ベトナムの少女」という写真があったが

それとは異なる

 

もう、ずいぶん前のことだから

いつ頃で 何の報道だったかも すでに「時」のかなたに追いやられている

 

 

 

ところで 鳳翔は 新聞も読まないし、テレビも見ない。

ラジオも聞かない。(^^;ゞ インターネットのニュースさえ見ない。

時々どうやって生きているのか不思議がられるが ちゃんと現代の生活はしている。σ(^_^;

 

 

たまたま見た、新聞のその写真は、今も記憶の中に刻み込まれていて

胸を突かれる

 

 

 

人生の中で 立ちすくんでいる人を見ると

 

その写真を思い出す

 

 

その人の心は、

ずっとずっと深いところからの 慟哭に捉えられて

立ちすくまずには いられないのだろう

 

 

他の人から見たら、甘えにしか見えないかもしれないことも

その人にとっては 前に進むことができないほどの 魂を揺さぶられるできごとなのだ

 

 

立ちすくんでいる人を 

誰も歩かせることはできない

 

自分自身が また歩き出すことを選ぶまで

見守っていてあげることしか できない

 

 

立ちすくんでいるときには

見えない風が吹く

 

 

歩き出さなくてもいい

腰をおろして 小鳥の声に 耳をかたむけるのもいい

 

 

 

一生、駈けつづける人もいるだろう

決して休まない人もいるだろう

 

歩いた距離ではない

走った距離ではない

かかった時間ではない

努力した量ではない

 

 

どれだけ ほほえんだか

どれだけ たのしんだか

 

歩くのが好きな人

駈けるのが好きな人

飛ぶのが好きな人

 

空を見上げるのが好きな人

 

 

どれだけ 自分自身を生きたか

どれだけ 愛したか

 

 

 

あの少女が、そこから先 どんな人生を送るにしても

あの慟哭を

あの叫びを

すべてに向かって 発信した 魂が存在した

 

 

 

 

立ちすくんでいる人をみると あの写真を思い出す

 

 

ただ

魂の慟哭に 耳をすます

 

 

 

 

2004.2.29